公共広報コミュニケーション研究会とは?
公共から市民への広報〈今の時代に即した情報の受発信〉に関する研究と事例共有を関東中心300自治体へオンライン・メディア(メールマガジン)を通じて行っている研究会です。
今回は、京都大学防災研究所の矢守克也教授に、「ふだんの暮らし」が防災・減災になる、一石二鳥の生活防災(増補版〈生活防災〉のすすめ・帯より)と、自治体の担当者として理解しておくことが重要なリスクの考え方についてお伺いしたインタビューを「〈生活防災〉ふだん→まさかの視点篇」と、「災害リスクと情報篇」と2号に分けてお届けしているものです。
前編:「〈生活防災〉ふだん→まさかの視点篇」はこちらからご一読ください。
話し手:京都大学防災研究所 巨大災害研究センター 矢守 克也 教授(以下略称:Y)
聞き手:公共広報コミュニケーション研究会 主任研究員 佐藤 幸俊(以下略称:S)
「ニュートラルなリスク」と「アクティヴなリスク」
リスクを単なる「危険」にしない
S:もう一つ「目からウロコ」だったのが、「リスク」というよく使われる言葉ですが、この言葉の一般的に思われているニュアンスではなく、概念的に整理して使うことが実際に有効であるということです。
Y:この部分は、まあなんていうか、少し込み入ったというか、理屈っぽい話ではありますよね。ただ防災にかぎらず実際に生きていくうえで、踏まえておくべき大事な考え方だとは思うんです。
普通リスクっていうと、川が持ってるリスクとか、コロナが持ってるリスクとか、つまり私たち人間はこっち側にいて、向こう側にいる相手さん-脅威のことですけど-の〈危険度のランキング〉みたいなことを「リスク、リスク」と言っているんですね。
私たちが何をしようが、津波はこれだけ危ない、川はこれだけ危ない、COVID-19はこれだけ危ないと、そういうようなリスク観が一般的だと思うんですけど、それを「ニュートラルなリスク」と言っています。人間がやることとは無関係に、ニュートラルって、中立っていうことですもんね。
一方で、リスクっていうのは、こっち側の人間の側がどう出るかによって変わってくるものだと捉える。それが「アクティブなリスク」という考え方で、そんなふうに私たちが出来ることと繋がらないと、「リスクヘッジ」といった概念も成り立たないんですよね。
S:『〈生活防災〉のすすめ』で、「どのようにリスクをテイクするか(あるいは、しないか)を選択可能だという意味で-「アクティブなリスク」として現れるが、そうでない人びとにとっては単なるdangerである」とお書きになっています。
Y:これは好むと好まざるとに関わらず、2~3年にわたるコロナ禍の生活を余儀なくされた今となっては、割と一般の方にも、わが事として身に付いてきた感覚じゃないかなと思います。
コロナの感染力とか、そういうニュートラルなリスクってのは、それ自体として、もちろんあるんですけど、それに対して私たちがどう向き合って行動するのか。政府的な言い方だと「社会経済活動を優先」した生活をするのか、あるいは感染症をとにかく抑止する生活をするのか。それをどっちか選択するのは人間なわけです。
いやどっちかって、もちろん白黒じゃないですよね。中間点というか、バランスを考慮しながら、何がベターかというのを、みんなそれを何とか見つけようとして苦心している。
もちろんずっと家にこもっているのが一番安全なのでしょうが、それでは仕事も進まないし、人生の重要な岐路に立っている若い方もいて、外に行かないというわけにもいかない。活動もしないといけない、けれどコロナの感染予防もしないといけないという堂々巡りですね。
そうした暮らしの中で、今日は人混みにも行かなければならないとなれば、そのときはいつも以上に感染対策をして出かけようというふうにリスクを取る。自分の出方でもって、リスクとの折り合いをつけていくっていうことを、私たちはコロナ禍で学ばされました。
災害というリスクに対しても、そういう向き合い方が重要です。例えばどこに住むかということについても、河川氾濫に対するリスクの高いエリアと低いエリアがあって、しかし世の常ですけど、リスクの高いエリアの方が、地価が安くて購入しやすいというように、メリットがあったりもするわけです。
しかも、リスクについて考えると、ある意味、社会がどんどん変わってきているのかもしれないという気がします。リスクに対し、私たちの側がどういうふうに折り合っていくかという、力あるいは知識を身につけてくださいねと求められる場面(こと)が増えている。
例えば、昔は役場あるいは国が、ここは住んじゃいけませんっていうふうにも決めてくれてというか、規制があったわけですけど、今はハザードマップが公開されていて、このぐらい浸水のリスクがあるエリアです。あとは自分で判断してくださいっていうことになってきた、そんな変化です。
S:その方向にどんどん進んでますよね。
Y:これは私たちにとっては、プラス面マイナス面の両方あるということですよね。情報がオープンになって自分で考えられるというとポジティブですけど、自分で考えないといけない、最後は自分で判断しないといけないというのは、ちょっとずしっとくるところもありますよね。いろいろなことで自己責任、自己決定が求められる世の中になってきています。
S:そうした世の中の移り変わりに対応し、家族みんながしっかりと生き抜いていくためにも、リスクを受動的にのみ捉えるのではなく、「アクティブなリスク」という視点が重要であるということですね。逆にいうと、リスクを〈アクティブ〉化するために、自治体が留意するのは、どういった点でしょうか。
Y:例えば、ハザードマップはどこの自治体でもしっかりと作っていると思うのですが、それ自体は、いわばニュートラルなリスクが表現されているだけのものなんですね。ですから一歩前に進めようと思えば、ハザードマップを作りました、公開してます、だけではなくて、それを見ながら住民の方と一緒に、今のような議論をしていかないといけないと思うんです。
避難場所一つ決めるにしても、絶対大丈夫というような場所はもうなかなか無い、あるいはそもそも避難場所が存在しないというコミュニティも多いんですよ。そうしたときに、相対的に災害のリスクは高いけれども利便性の高い避難場所と、それとは逆のパターンの避難場所の、どちらを選択するのかというのは、コミュニティによって、あるいは人によっても変わってくるかもしれませんよね。
S:何を重視するかによって変わるわけですからね。
Y:そういったまさに、どこでリスクをテイクするのか、あるいは回避するのかということを、住民と一緒に考える種類のコミュニケーションを始めていかないといけない。専門家の発するリスク情報を右から左に流して、リスクコミュニケーションしてます、役所が、うちはリスク情報を全部住民さんに公開してますからっていうスタンスは、もうちょっと時代遅れになっていくと思いますね。
S:住民との有効なコミュニケーションをいかに作り上げていくかを考えるのには、やはりSNSをどう活用していくかということが一つのポイントとしてあるんではないかと思います。SNS(Social Network System)って、本来伝達メディアではないわけで、その本来の機能をいかに活用するかを考えることは、より一層重要になってくるんだという気がしました。
「コロナ禍と防災 -これから大切にすべきこと-」
改善したことを後退させてはならない
S:コロナ禍ということで、社会が変わらざるを得ない事態に私たちみんなが直面しています。そのことを自治体の担当者としては、どのように受けとめるべきか。あるいは今後の施策にどう活かしていくかといった点について示唆をいただければと思うのですが。
Y:コロナという苦しい条件が新たに付け加わったことで、皆さんがこの間ご苦労をされてきた中で生まれた産物、例えば3密を回避しなければならないので、段ボールベッドとかパーテーションとか、これまで以上にいろいろな備品が入ることで、人数制限もかけなきゃいけない、オーバーフローして入れない人が出るというような課題も生じました。
スフィア基準というものがありますね。難民や被災者に対する人道支援の最低基準です。それには避難所の環境についての「最低基準」というようなものが国際的な基準としてある。たとえばよく引き合いに出されるのは「女性用のトイレは男性用の3倍必要とか」、それを日本の避難所は全く満たしてないというような話が言われます。
S:私たちは、避難所だから仕方がないとか、災害時だから我慢が必要とか、そういう風潮というか、それが当たり前だと思っていたところがあります。
Y:いや大変なときだからこそ、大変な思いをしてる人に人道上、問題のない基準が必要ですよねと。日本の避難所だと、1人あたりのスペースが畳1枚の広さだったりするのに対し、スフィア基準では「最低3.5平方メートル確保すること」と定められている。そういったことが課題としてあっても、なかなか改善されなかったわけです。
それがコロナ禍で「密を避ける」という絶対的な命題となって、言葉を選ばずに言うと、待ったなしに何とかしなきゃっていうプレッシャーがかかったことで、日本でもスフィア基準を満たすような避難所を作るということに、それなりに成果も出てきたわけです。これまであんなに進まなかったのに。
あるいはホテルに避難してもらう。それに自治体から補助金が出るというようなことも実現してきています。エコノミークラス症候群は心配だけど、自家用車という避難スタイルだってあり得る。大規模商業施設と協定を結んで駐車場を開放するといったようなことも進んできました。
こうした、国民的プレッシャーの中で生まれてきたこれまでの防災対策の見直しや、見直しに向けて一歩を踏み出したことを、コロナ禍が幸い終息したとして、そのとき元に戻すのではなく、そのままの施策として定着させていってほしいと思います。
S:「アフター・コロナ」、「ウィズ・コロナ」とつい言ってしまいそうになるのですが、コロナ禍という困難な体験の中からでも、生まれた改善を後退させてはならないという目線は、先生が『防災心理学』に書かれた次の一文につながっていると感じました。先生、本日は貴重なお話しをありがとうございました。
Y:こちらこそ、ありがとうございました。
終わりに
矢守先生がその柔らかな口調で話す内容からは、私はいつも「目からウロコ」がポロポロと落ちるのを感じます。
今回あらためてうかがった「生活防災」と「リスク」についての考えは、本研究会の基本姿勢「市民への、今の時代に即した情報受発信は、単にinformation transmission(情報伝達)であるのみならず、Communication(関係構築)であるべき」に基づくテーゼ「普段のコミュニケーション構築による緊急時への備え」と軌を一にしており、平常時に市民とコミュニケーションを重ね、非常時に情報のライフラインを目指す取り組みの実現に向けた、オンライン活用による広報の研究と啓蒙の必要性を裏づけてくれています。
自然災害大国であるわが国では、全国どの地域においても避けることの出来ない、この
災害への向き合いについて、市民に対しどういう言葉で語りかけるべきか、どういう場と機会で情報を発信し、どういう言葉で語りかけるべきかを考えることは、防災において決定的に重要な取り組みであるとの思いを強くしました。
公共広報コミュニケーション研究会 主任研究員 佐藤 幸俊